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ショートストーリー「喫茶ロット」第一章 第四話

【設定】交差する3人のフライト(主人公たち)

  • ① 修平(45歳・会社員):
    メーカー勤務の中間管理職。妻と高校生の息子、小学生の娘がいる。企業型DCを長年続けており、昨今の株高で利回り20%を超え、自分の投資判断に自信を持ち始めている。(※メイン視点)
  • ② 健太(38歳・自営業):
    独立したてのフリーランスデザイナー。収入の波が激しく、将来の年金への不安からiDeCoとNISAで「とにかくハイリスク・ハイリターン」な銘柄に全振りし、日々チャートを見ては一喜一憂している。
  • ③ 小百合(52歳・公務員):
    中学校の教員。退職金(共済)があるため元々は保守的だったが、世間のNISAブームに焦り、よく分からないまま銀行窓口で勧められた株式ファンドを買い、日々の値動きに強いストレスを感じている。

第1章:高度1万メートルの錯覚

第4話:交差する航路と、見えない乱層雲

数日後の週末。
冷たい雨がそぼ降る夕暮れ時、修平は傘を畳みながら再び『テイクオフ』のドアをくぐった。

「いらっしゃい、修平さん。……今日は、お仲間がいますよ」

カウンターの中でグラスを磨いていたマスターが、穏やかな声で迎える。
ふと見ると、店の奥のテーブル席には二人の先客がいた。ノートパソコンを前に頭を抱えている若い男(健太)と、温かいお茶を両手で包み込みながら、ため息をついている女性(小百合)だ。

「お仲間……?」
修平が首を傾げると、マスターは静かに頷いた。

「ええ。修平さんと同じように、見えない空を飛びながら、羅針盤の針に心を乱されている孤独なパイロットたちです」

マスターの言葉に促されるように、修平は二人のいるテーブルの隣に腰を下ろした。
健太と小百合も、修平の存在に気づき、軽く会釈を交わす。年齢も職業もバラバラな三人。しかし、その瞳の奥には共通して「正体のわからないお金への不安」が揺らめいていた。

「マスター、さっきの話の続きだけど……」
健太が、パソコンの画面から目を逸らしながら口を開いた。
「僕みたいに退職金もないフリーランスは、多少無理をしてでもハイリスクな投資で稼がないと、将来生きていけないじゃないですか。プロペラ機で必死に飛ぶしかないんです」

「私もそうよ」
小百合が同調するように呟く。
「公務員だからって安心できないわ。物価はどんどん上がるし、年金だってどうなるか……。だから、少しでも増やそうと思って投資信託を買ったのに、毎日減っていく残高を見るのがこんなに苦しいなんて」

二人の切実な声を聞きながら、修平は手元のコーヒーカップを見つめた。
(俺は、この二人とは違う。利回りは20%を超えているし、上手くやっているはずだ)
そう自分に言い聞かせようとしたが、数日前にマスターに言われた「着陸用の車輪がない」という言葉が、胸の奥でトゲのように刺さったままだった。

「健太さん、小百合さん。そして、修平さん」

マスターは、三人のテーブルの中央に、静かにサイフォンを置いた。
コポコポとお湯が沸き上がる音が、雨の音と混ざり合う。

「皆さんはそれぞれ、違う機体に乗り、違う理由で空へ飛び立ちました。しかし、一つだけ絶対に忘れてはならない『空の掟』があります」

マスターは三人を見回し、低く、しかし力強い声で言った。

「それは、『どれほど優れた飛行機に乗っていようと、飛んでいる空(市場)は全員同じ』だということです」

三人が、ハッとしてマスターの顔を見た。

「調子が良い時(強気相場)、人は自分の操縦技術が優れていると錯覚します。修平さんのように『自分には投資の才能がある』と。
逆に調子が悪い時(弱気相場)、小百合さんのように『自分は失敗した』と激しく後悔する。
しかし、現実は違います。ただ単に、空に吹いている風向きが変わっただけなのです。

サイフォンの火が消え、琥珀色のコーヒーがゆっくりと下のフラスコへと降りていく。

「投資の世界では、数年、あるいは十数年に一度、空が真っ黒な乱層雲に覆われ、すべての飛行機を地面へと叩き落とそうとする『本当の嵐』が必ずやってきます。その時、あなたがどんな飛行機に乗っていようと、どれほど優秀な成績を出していようと、関係ありません」

マスターは窓の外の雨空を見上げた。

「恐ろしいのは、嵐そのものではありません。嵐の中でパニックに陥り、自分がどこにいるのか、どうやって着陸すればいいのかを見失うこと……つまり、人間の『感情』こそが、最大の墜落原因になるのです」

修平の背筋に、冷たいものが走った。
もし今、自分のあの輝かしい「+20%」という数字が、一瞬にしてマイナスに転落したら。自分は冷静でいられるだろうか?

「マスター……その『本当の嵐』って、いつ来るんですか?」
健太が、かすれた声で尋ねた。

マスターはカウンターの奥にある、真鍮製の古い気圧計に視線を落とした。

「……空の匂いが、少し変わってきました。皆さん、シートベルトをしっかり締めておいてください」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、修平のポケットの中で、スマートフォンが短い振動を立てた。
ニュースアプリの号外速報。
画面には、「米市場、歴史的な暴落。AIバブル崩壊の懸念」という無機質な文字が、冷たく光っていた。

(第5話へ続く)

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