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ショートストーリー「喫茶ロット」第一章 第三話

【設定】交差する3人のフライト(主人公たち)

  • ① 修平(45歳・会社員):
    メーカー勤務の中間管理職。妻と高校生の息子、小学生の娘がいる。企業型DCを長年続けており、昨今の株高で利回り20%を超え、自分の投資判断に自信を持ち始めている。(※メイン視点)
  • ② 健太(38歳・自営業):
    独立したてのフリーランスデザイナー。収入の波が激しく、将来の年金への不安からiDeCoとNISAで「とにかくハイリスク・ハイリターン」な銘柄に全振りし、日々チャートを見ては一喜一憂している。
  • ③ 小百合(52歳・公務員):
    中学校の教員。退職金(共済)があるため元々は保守的だったが、世間のNISAブームに焦り、よく分からないまま銀行窓口で勧められた株式ファンドを買い、日々の値動きに強いストレスを感じている。

第1章:高度1万メートルの錯覚

第3話:ファーストクラスの乗客と、重すぎるパラシュート

カラン、カラン。

少し慌ただしい足音と共にドアを開けたのは、中学校で教員をしている小百合(52歳)だった。彼女の腕には、分厚いバインダーと金融機関のロゴが入った茶封筒がしっかりと抱えられている。

「マスター、いつもの……いや、今日は温かいカモミールティーをお願い。なんだか胃が痛くて」

カウンターの端に座っていた健太が席を詰めると、小百合は「ごめんなさいね」と小さく会釈をして隣に腰を下ろした。彼女の顔には、隠しきれない疲労の色が濃く滲んでいた。

「お疲れのようですね、小百合さん。生徒さんとのトラブルですか?」
マスターが手際よくハーブティーの準備を始めながら尋ねる。

「生徒なら可愛いものよ。……これよ、これ」

小百合はため息まじりに茶封筒を開け、中から数枚の運用報告書を取り出した。
「最近、職員室でも『NISA』とか『投資信託』の話題ばかりでしょ。国も『貯蓄から投資へ』なんて言うし、銀行に行ったら『退職金をもらう前に、今からお金に働いてもらいましょう』って勧められて。私だけ取り残されているような気がして、思い切ってボーナスを株式ファンドに入れたのよ」

湯気の立つカモミールティーが、小百合の前にそっと置かれた。

「それなのに、毎日のようにニュースで『株価急落』って騒ぐじゃない? 怖くてネットで自分の口座を見たら、たった数ヶ月で何十万も減っていて……。夜も眠れないし、授業中も上の空よ。私、とんでもない失敗をしたんじゃないかしら」

両手でカップを包み込みながら、小百合は泣きそうな声でうつむいた。

その横顔を見つめていたマスターは、ふう、と静かに息を吐き、カウンターの奥から一枚のコースターを取り出した。そこには、大きなジャンボジェット機が描かれている。

「小百合さん。あなたは今、この『ジャンボジェット機のファーストクラス』に乗っているんです」

「ファーストクラス……私が?」

「ええ。公務員として長年勤め上げ、手厚い共済年金と、確実な退職金という『強靭なエンジンと安全な座席』がすでに用意されている。普通に座って外の景色を眺めていれば、定年という目的地に極めて安全に到着できるんです」

マスターはそこで言葉を切り、横で黙って話を聞いていたフリーランスの健太へ視線を移した。

「隣の健太さんのように、自分の腕一つでプロペラ機を操縦し、自力で高度を稼がなければならないパイロットとは、そもそも飛んでいる環境が全く違うんです」

健太が気まずそうに頭を掻く。小百合は不思議そうに二人の顔を見比べた。

「それなのに、小百合さん。あなたは今、安全な機内のファーストクラスの座席で、わざわざ重たい『軍事用のパラシュート』と『緊急脱出用のロケット』を背負って震えている。……必要のない過剰なリスクという、重すぎる荷物を背負い込んでしまっているんです」

「必要のない、リスク……」

「世間の『投資ブーム』という焦りに背中を押され、自分の目的地(ゴール)を確認しないまま、若者やリスクを取るべき人たちと同じ『激しい値動きをする切符』を買ってしまった。それが、あなたの胃痛の正体です」

マスターの言葉は、冷たい水を打ったように店内の空気を澄み渡らせた。
投資には「万人に共通するたった一つの正解」など存在しない。年齢、職業、そして何より「いつ着陸するか」によって、持つべき荷物も、飛ぶべき高度も全く異なるのだ。

「自分の投資が順調だと錯覚している会社員の修平さん。ハイリターンを求めてチャートの乱高下に心をすり減らす健太さん。そして、安全な船に乗りながら不要なリスクに怯える小百合さん」

マスターは、静かに3人の名前を挙げた。

「あなたたちは皆、自分が今『どんな飛行機に乗って、どこへ向かっているのか』を知らないまま空を飛んでいる。だから、ちょっとした乱気流でパニックになるんです」

窓の外では、秋の夕暮れが街を赤く染め始めていた。

「……そろそろ、知っておくべき時かもしれませんね。投資という空の旅において、最も恐ろしい『本当の嵐』の正体と、そこから確実に生還するための『着陸の技術』について」

カチリ、と。
マスターが店内の照明を一段階落とすと、静かなジャズの音色が、嵐の前の静けさのように深く響き渡った。

(第4話へ続く)

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